徒然なるままに

双極性障害を持つアラサー男子の療養、日常を書いてます。

父との思い出

先週父が亡くなりました。

61歳という若さで。何度か書いていたように父は胆管がんでした。

発見した時には今の医学ガイダンスでは措置できない状況。選択肢は放置し緩和ケアを行うか、抗がん剤治療を行うかという厳しい選択でした。

緩和ケアをすれば余命は数ヶ月、抗がん剤でも弱り何となく生かされている状況になるであろう。究極に近い選択でしたが母はUMSオンコロジークリニックでの放射線治療を見つけ、それをすることになりました。

鹿児島に病院があるため遠征にはなりますがその都度、照射したところの癌組織は壊滅していました。ただし自由診療なので費用は高いです。

こうして転移している癌にも放射線治療を施し、何度も凌いで来ました。

ただ最後のトドメとして来たのが癌性脳梗塞。これがいけなかった。

この前まで元気に、人一倍動ける、運動神経抜群で初老とは思えないほど筋肉質の父がやせ細りました。別人を見ているかのよう。私の中では別人として見てしまっていたのかもしれません。

脳梗塞の入院で腹水もたまり食欲も激減、そのため点滴によって摂取しさらに腹水がたまるという悪循環。こうして医療による衰弱が起こるのかと素人ながらに感じました。その後退院し、自宅でKM-cartを施すと食欲が回復。弱ることもなく腹水が抜けたので安心しました。

食べたいものを食べ痩せていた頰に肉もつき始めて家族も本人も喜んでいました。

 

しかしある日突然、癌性の痛みを感じなくなったとのこと。痛み止めの薬の種類を変えたからなのか、様子を見ることに。

一日経っても変わらず痛みを感じないようです。ほとんど寝ている状態。昏睡というか爆睡していました。いつものようにいびきをかいて寝ている。

本人に聞くと夢は見ないそう。

そしてイカの一夜干しが食べたいというので次の日、三崎港に買いに行くことにしました。私が家を出る前に大丈夫か?と聞くとまだ大丈夫だと。

まだ、という言葉が気になりますが9時開店の三崎港の市場へ。

買い物を済ませて帰宅すると呼吸が止まる寸前でした。

そして私が帰宅し声をかけたらスーッと息を引き取りました。まるで私の帰宅を待っていたかのように。

自宅なので母、妻、息子、父の姉、私が見守る中、父は亡くなりました。

 

あれほど強かった父がこうも簡単に弱り、死ぬとは考えてもいなかった。父親らしいことをするのが苦手だったような気もしますが優しい父でした。

今ではしきりに父との記憶ばかりがよみがえり、記憶を探っている状況です。父といった場所、いった店に一人で行くとそこに父が見えるような気がしています。

 

最後まで「俺は大丈夫」といっていた父は今頃死んだことにも気づいていないんじゃないかと思います。父に最後にできた親孝行は孫を見せられたことでしょうか。

滅多に自分の気持ちを言わない人でしたが看護師には孫が可愛いと自慢していたそうです。

思いを書けばたくさん出て来ますがキリもないのでこの辺で。

 

現在、父と同じ病気で苦しむ方がいれば、父の闘病を参考に、役立ててほしいと思っています。

 

しばらくは更新頻度が少なくなりますが少しずつブログを書いていこうと思います。

引き続きよろしくお願いいたします。